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中日现代儿童文学中的“学校”的比较(中日現代児童文学における「学園」の比較)毕业论文

 2022-06-16 21:36:30  

论文总字数:16380字

南京工业大学

本 科 生 毕 业 论 文

题目:中日现代儿童文学中的“学校”的比较

——以《草房子》和《窗边的小豆豆》为中心

    

学号:2402110114

姓名:马咏倩

年级:11 级

学院:外国语学院

系别:日语系

专业:日语语言文学

完成时期:2015年06月

指导教师:徐明

南京工業大学

本 科 生 卒 業 論 文

題目:中日現代児童文学における「学園」の比較

——『サンサン』と『窓ぎわのトットちゃん』を中心に

学籍番号:2402110114

名前:馬咏倩

年別:11年度

学院:外国語学院

学科:日本語科

完成期日:2015年06月

指導者:徐明

内容提要

中国与日本的儿童文学中,学校是一个很重要的形象,以学校为舞台的作品也很多,曹文轩的《草房子》与黑柳彻子的《窗边的小豆豆》就是其中的代表作。本论文通过对两部作品的内容和对作者的比较分析,可以对作者所追求的理想学校有更明确的认识。《草房子》把贫困乡下的油麻地小学作为舞台,基于自己孩提时代的经历,用诗意的笔触记叙了少年少女们的成长故事。而《窗边的小豆豆》则以昵称为小豆豆的黑柳彻子曾就读的巴学园为舞台,栩栩如生地描绘了校长小林宗作和巴学园的小伙伴们。曹文轩在作品中强调了历经苦难在学校中的成长,而黑柳彻子则通过作品描绘了巴学园的尊重孩子个性发展的独一无二的教育理念。从两部作品所带来的巨大社会反响中,可以感受到作品对学校教育有更深远持久的意义。

关键词:学校 对比 成长 个性

要旨

中日の児童文学において、「学園」は重要な舞台であり、「学園」を舞台にした児童文学作品も多数ある。曹文軒の『サンサン』や黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』はその代表作の一つである。『サンサン』は貧しい田舎のある草ぶきの油麻地小学校を舞台とし、作家の子ども時代の物事をモチーフに、少年少女たちの成長の物語を詩情豊かに描いたのである。『窓ぎわのトットちゃん』はトットちゃんこと黒柳徹子が通学したトモエ学園を舞台とし、そこで学ぶ子どもたちと校長先生小林宗作の姿をいきいきと描いたのである。本論は作品内容と作家自身の比較によって、作家たちの理想的「学園」の特徴を明らかにする。曹文軒は作品において、苦難を通し「学園」での成長を強調するのに対して、黒柳徹子はトモエ学園の子どもの個性を尊重するユニークな教育方法を書いた。作品の多大な影響力から、学校教育に対する深い意味がわかる。

キーワード:学園 比較 成長 個性

目次

はじめに ……………………………………………………………………………1

第一章 中日児童文学の流れ …………………………………………………1

1.1 中国児童文学の歴史  ………………………………………………………1

1.2 日本児童文学の歴史  ………………………………………………………2

第二章 作品から探る「学園」の特質 ………………………………………4

2.1 「学園」の様子 ………………………………………………………………4

2.2 校長(教師)像と教育方針 …………………………………………………6

2.3 子ども像 ………………………………………………………………………10

第三章 作家を語る  ……………………………………………………………13

3.1 曹文軒という作家 ……………………………………………………………14

3.2 黒柳徹子という作家 …………………………………………………………15

おわりに ……………………………………………………………………………16

はじめに

目標と構成

 中日の児童文学において、小学校を舞台にした児童文学作品は多数ある。本論は、中日現代児童文学における学園像を研究したいと考えている。理想的「学園」の特質とは何かという課題を、文学作品から探ることによって明らかにしようとする。曹文軒の『サンサン』(1997)や黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』(1981)を中心に考察する。

 まず、第一章では、先行研究により、中日児童文学の歴史を把握することに努める。児童文学の歴史を段階ごとに整理する。特に両国の発展の過程、当時の社会文化、背景などを跡付ける。

 次に第二章では、作品論を中心に、作品そのものから学校に関する内容を抽出し、実例をあげながら分析する。共通点と相違点を比較しながら、作家の理想的「学園」の特徴を明らかにする。 

 第三章では、作家論を中心に、作家個人の人生経験や人間性などの側面から検討する。また、作品における「学園」が読者の目にどのように映っているのかについて研究する。感想や評論を整理し、その作品の影響力と教育意義を研究する。

 最後に、それまでの考察に基づき、自分なりに結論を出し、また、小論の不足点と今後の課題について述べる。

第一章 中日児童文学の流れ

 まず、先行研究により、これまでの中日児童文学歴史を簡単にまとめる。

1-1 中国児童文学の歴史 

 中国において、児童文学が系統的文学の一つのジャンルとして認められるのは一般文学と同じく、1919年の五四運動期である。孫毓修による『童話』叢書(1909~1920)は最初の子ども向けの出版物とされている。このシリーズは、近代中国児童文学の基礎を築いたと言えよう。

 解放前には、魯迅と周作人をはじめ、張天翼、冰心、茅盾らは中国児童文学の発展に大きい役割を果たした。魯迅は小説『狂人日記』(1918)の最後で「子どもを救え!」と叫んで子どもに関心を寄せ、啓蒙的活動に力を尽くした。一方、周作人は『童話研究』(1923)や『児童文学小論』(1932)などの児童文学理論著作を残して、「児童本位」という新しい児童観を提唱した。児童本位とは、子どもの視点や子どもの興味を大事にすべきだという理念である。だが、数多の作家たちが作品を武器として当時の社会や政府を批判する政治性は強く、「子どもを対象という側面が見えにくいきらいはあった(張錦江1994)」。

 1949年以降には、孫建江(1995)は現代中国児童文学の「思潮的流れを教育性→文学性→児童本位」として捉えている。50年代の児童文学作品において、子どもから遊離したものが多く、具体的な子ども像を描くより、作品の教育性が求められていた。

 80年代から活躍していた曹文軒、鄭淵潔、秦文君など若い作家は、過去の作品が教育性に偏重しすぎたと反省し、「児童文学はまず文学である」という理念を持ち、文学性に軸を置いて作品を創作した。だがその結果は、読者である子どもを捨ておいて行ってしまうことになった。

 90年代に入り「児童本位論」が再び認められている。文学性だけでなく、作品はもっと童心的、子どもの視点を重視する子ども観に始終すべきだと述べられている。

1-2 日本児童文学の歴史

 日本において、児童文学の歴史は明治以来、大正、昭和、平成にかけて、たかだか百数十年しかないが、お伽噺、童話、児童文学と呼び名が変わってきている。 

 明治期を代表するのは、巖谷小波のお伽噺[1]である。鳥越信(1971)はお伽噺を「明治の国家主義論理と商業主義の癒着によって、新しい市民社会のもつ論理や生活感情を表現する児童文学を創造しようとする意欲と情熱によって生まれてきた」文学と捉えている。

 大正時期には、童話が新しい意味をもって、新たな文学の概念として使われた。大正デモクラシー思潮の影響で、雑誌『赤い鳥』(1918)が創刊され、創始者の鈴木三重吉は創刊の主旨を「童話と童謡を創作する最初の文学的運動」と述べた。この時点で、近代児童文学の画期的な存在として、小川未明があげられる。彼の児童観において、子どもが無垢な心を持つべきである、すなわち童心・童心主義理念は、近代児童文学の興隆に大きく寄与した。横谷輝(1974)は童心という理念を次のように述べた。「大人の世界は虚偽にみち汚れているに対して、子どもは天真で純純な存在であり、その考えは自然の理にかなっている。他者との対立をはじめから捨象し、直接的無媒介的に子どもを主張することによって、理想的人間像となることができた」である。

 昭和前期には戦争によって日本児童文学の冬が訪れたが、戦争が終わった後期は繁栄期を迎えた。戦後の流れに3回の重要な転換期があったと言われている。

 第一には、1959年前後、新たな児童文学運動が起こった時点で、小川未明を代表とされる童心主義理念や象徴的方法は批判され、否定された。「戦後の児童文学がリアリズムにおいてかなりの深化(関口安義2008)」があった。佐藤さとる、いぬいとみこ、鳥越信らは伝統的な童話を否定し、新しい時代にふさわしい児童文学を模索した。

 第二の転換期は「タブーの崩壊」と言われた1970年代の動向である。それまで子どもの文学では避けられてきた「性、死、家族の崩壊などを描く」作品が現れたのである。石井直人(1999)はこの現象について、「子どもへの関心、散文性の獲得、変革への意思」をあげ、「これらが消滅ないし疑問視され、子どもの文学が必然的に変貌をはじめた」と述べている。

 最後の転換期として、石井直人は「多様化する児童文学」と述べている。児童文学は大人が子どもを読者と想定して創作した文学であるが、エンターテインメントと商品化の時代を迎えた今、さまざまな児童文学が出版され、読者層も広がった。現在のいくつかの傾向をあげるとすれば、「ファンタジーの隆盛、児童文学と文学の越境、癒しの文学、読者層の年齢の上昇」などである。

第二章 作品から探る「学園」の特質

 具体的作品として、黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』と曹文軒の『サンサン』が取り扱われる。 

 『サンサン』という作品は貧しい田舎のある草ぶきの油麻地小学校が舞台で、少年少女たちの日々を詩情豊かに描いた。登場人物が皆魅力的でやさしく素朴な人である。校長の息子サンサンを語り手に、作家の子ども時代の物事をモチーフに、淡々と成長の物語を描いたのである。

 『窓ぎわのトットちゃん』はトットちゃんこと黒柳徹子が通学したトモエ学園を舞台に、そこで学ぶ子どもたちと校長先生小林宗作の姿とトモエ学園のユニークな教育方法をいきいきと描いた作品である。 

 この二つの作品に着目する理由は、これらがともに優れた作品で、「学園」を舞台に少年少女たちの成長物語を描き、深い味わいを残す本だということである。さらに、ベストセラーの常連として、読者に大きく評価されただけでなく、文学賞も受け、評論家や業界にも認められた代表的な作品である。このような、文壇的にも文学実質的にも評価を獲得した作品には、研究する価値があると思っている。

 ここで、作品における油麻地小学校とトモエ学園を本論の研究対象とし、その特質を明らかにしようと、環境と校長と学生と三つの面から考察をはじめたいと思っている。

2-1 「学園」の様子

 まず『サンサン』における油麻地小学校を見てみよう。

 

   油麻地小学校は皆、草ぶきだった。いくつもの草ぶきの家が、整然としているような、不規則なような形でつらなっている。それぞれが、教室、職員室、先生の住まい、または多目的室や倉庫なんかとして使われている。そして草ぶきの家の前後や、家と家との間には、必ず何かがあった。竹の茂みが一つ二つとか、バラが何株か植えてあったり、色とりどりのカンナがいっぱい咲いていたり。いっそ何も植えてない小さな花の混じった草むらだったり。

   (中略)

   油麻地小学校の家は、屋根の草に気を遣い、お金をおしまずに、このあたりのどの家よりも厳しく草を選び、屋根のも厚くした。だから家の中は、冬は暖かく、夏は涼しい。その家々は田舎の澄んだ空の下で、いかにも古風で飾りけなく見える。けれど太陽が高く上がると、屋根がキラキラと金色に光り、豪華にみえるのだった。[2]

 ここから、美しい田園風景に囲まれた学園像が見られる。油麻地小学校中、中国ならではの自然風物の雰囲気が漂っている。校舎は全部小さな草ぶきの家であったが、『サンサン』の舞台が60年代中国の貧しい田舎であることを考えると、さらに、草の選びにも工夫をこらし、とても値打ちのある草ぶきで家を築いたので、冬は暖かく夏は涼しくて、非常に良い校舎であるともいえよう。

 次に、『窓ぎわのトットちゃん』における学校を見てみよう。舞台になるトモエ学園は実際にも存在した。かつて小林宗作が創設した、東京都目黒区自由が丘にあった私立幼稚園・小学校である。日本で初めてリトミック教育[3]を実践的に取り入れた学校として知られている。作品において、教室そのものは非常に不思議で、本当の電車を改造して利用したのである。勉強しながら、旅行をしているような感じがするだろうか。  

 

   どの電車も静かで、ちょっと前に、一時間目の授業が始まったようだった。あまり広くない校庭の周りには、塀の変わりに、いろんな種類の木が植わっていて、花壇には、赤や黄色の花がいっぱい咲いていた。

   (中略)

   網棚もあるし、窓も全部、そのままだし。違うところは、運転手さんの席のところに黒板があるのと、電車の長い腰掛を、はずして、生徒用の机と腰掛が進行方向に向いて並んでいるのと、つり革が無いところだけ。後は、天井も床も、全部、電車のままになっていた。トットちゃんは靴を脱いで中に入り、誰でも腰掛けていたいくらい、気持ちのいい椅子だった。[4]

 普通の学校では生徒の机が決まっているが、この電車教室では、生徒は毎日の気分や都合で、好きなところに座ってもいいのである。運転席のうしろに黒板が付けられ、先生は毎日のやることをここに書くが、生徒はやりたいことをやればいいのである。自由でのびのびした雰囲気のある学園像が描かれる。

 ここには学校の重要性が強調され、貧しくてもユニークでも、子どもによりよい学習環境をつくるために、創始者たちは自身の教育理念に基づいて学校の施設と運営に力をつくしたということがわかる。この点では、二つの作品が共通している。油麻地小学校と異なって、トモエ学園では変わったところが多いが、それは校長小林宗作氏が自身の理想の教育を体現する場として創立されたからである。次には、学校の魂である校長たちの人間像を見てみよう。

2-2 校長像と教育方針

 まず、油麻地小学校の校長サンジョウについて説明しよう。名前から見てもわかるように彼は主人公サンサンの父親である。サンジョウは家でもサンサンに校長の顔を見せ、いつでも校長のメンツを潰してはいけないのである。また、サンジョウは学校の名誉に対しても非常に重んじる。名誉にかかわることにぶつかると、平日の上品さをすぐにかなぐり捨て、どんな小さな名誉でも、逃そうとはしないのである。作品において以下のようなエピソードがあげられる。

   体操コンクールを迎え、サンジョウは生徒や先生に向かって、

   「今度の体操コンクールでは、油麻地小学校は絶対に一番にならなきゃいかん。どこかのクラスで問題がおきたら、そのクラスの担任が責任を負うこと」[5]と厳しく言い渡した。

 ここで説明したいのは、サンサンのクラスに、頭がはげているので、ハゲツルと呼ばれた、背も高い生徒がいる。集団体操で一番重視された横並びの精神を考えると、彼は目立ちすぎるのである。サンジョウは優勝を狙うため、ハゲツルだけをクラスから外しようとしたが、ハゲツルはどうしても出たがるので、仕方なく担任の蒋先生は彼に帽子を被せた。こうして、体操コンクールが始まった。油麻地小学校は開催校なので、最後に出場するが、前の学校のレベルから見ると、自分の学校が一番になるのはたやすいことだとサンジョウは信じた。特に、サンジョウの顔に笑みはもうおさえきれずに現れてきたというシーンが印象に残っている。

 サンジョウのように、学校の名誉が第一、体面を重んじる校長は中国ではたいてい普通である。よく中国人はメンツを大切にし、プライドも高いと言われている。横並びの精神も非常に重視されている。これは昔なら更にそうであろうと思っている。

 これに対して、学校事務に厳しく名誉にこだわるサンジョウにはいつもと違う優しい姿もある。コンクールの練習中、サンジョウは大声で怒鳴ることもあるが、子どもたちを注意深くかばうことも多い。夜の練習が終わった後、必ず先生たちを皆呼び出し、子どもたちを一人一人送らせた。サンジョウ自身が子どもをおぶってどろんこ道を歩き丸木橋を渡るのもよくあることである。

  サンジョウは実にも素朴で優しい人で、油麻地小学校の校長として子どもたちを大切にし温かく見守るのである。

 次に『窓ぎわのトットちゃん』における校長である小林宗作を見てみよう。  

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