平安时期和江户时期女子发髻的变迁
2023-06-04 12:03:03
论文总字数:10566字
摘 要
日本女性的发髻随着历史的发展而发生着变化。它是日本灿烂文化中的一种。经常和日本和服一起吸引着我们的眼球。最近,日本历史剧《笃姬》,《大奥》在中国很有人气,它再现了日本江户时期大奥中女性的生活。除了基于历史的剧情,登场人物穿着和服的姿态等都给我们带来美的享受。其中,各式各样的发型引起了我的兴趣。于是想研究发髻的变迁以及其所代表的审美观。查阅了相关资料后我发现在发型的背后,有着其起源,发展变迁,及其审美观等深远文化渊源。为了加深对日本女性发髻的文化理解,有必要对此做番研究。
关键字:发髻;女性;审美观;日本文化
目 次
謝辞 I
要旨 II
摘要 III
1 はじめに 1
2 日本の女性の髪型の変遷 2
3 垂髪とそれの美意識 3
3.1 美人の証:長く伸びる黒髪 3
3.2長い髪と「顔隠し」 3
3.3艶やかな黒髪と「物の哀れ」 4
4結髪とそれの美意識 6
4.1日本髪の誕生:髪型の大改革 6
4.2「額」と「項」の美しさを示させる日本髪 6
4.3「粋」への追求 8
5 二つ美意識のまとめ 9
5.1永遠の「曖昧」 9
5.2弱い自意識から自分に目覚める歩み 9
6 まとめ 11
参考文献 12
はじめに
髪型は歴史の発展の中、物質と文化の重要なシンボルである。また、人類特有の文化の現象である。髪型はその特定の歴代の政治と経済の産物である。髪型を創作するには、垂らす、結う、編む、切る、縮らすなどがある。日本の女性の髪型の場合は、髪そのものに生命が宿ると信じられていた時代では、髪を切ることは戒められ、長く伸ばすことが尊ばれ、長ければ長いほど良いとされていた。しかし、長い髪は働くのには邪魔になるので、束ねたり結い上げたり、あとにはさまざまな工夫が加わって、複雑な形の結髪へ発展し、長い髪を結び束ねることから始まった髪型は、その背景となる時代により、性別、年齢、職業など社会的な地位を象徴するものとしての意味合いが備わっていった。
日本の歴史を髪型という面から見ると、その時代の風俗、文化の特色を表しているように思われる。今では、いろいろの技術の発展によって、髪型は自由になった。そこで日本人の文化はどのように発展し、完成したか、主に平安時代と江戸時代を中心として、その変化の跡を辿り、そのに見られる日本人の心と美意識の特質を探って見たいと思う。
2 日本の女性の髪型の変遷
平安時代から江戸の初期の代表の髪型は垂髪である。十二単の着物を着て、黒くて長い髪は腰まで伸びていて、優雅な女性の姿が頭に浮かんでくるでしょう。そのような髪型は垂髪という髪型である。飾りたてることなく、自然のままの状態を髪型に現れている。でも、額髪の下がったのを左右の耳の後ろにかきっやて挟むのは「耳挟み」という仕草で、嗜みのないとされていた。このような髪型は江戸時代の初期までずっと踏襲されていた。女性の垂髪の他、少年少女は尼削ぎという髪型を持っている。
江戸時代の代表髪型は日本髪である。江戸時代には、経済の実権は町人に移り、艶麗ともいわられる江戸文化は華ひらいた。垂髪の煩わしさから解放するために、江戸時代には唐輪髷は開発され、「兵庫髷」や「島田髷」と他のいろいろな髪型は工夫された。男女合わせて、約三百種類の髪型が生まれた。現代では、その一部の髪型が儀式や伝統芸能などの非日常的分野に伝承されている。
明治時代以来は洋風化である。明治維新で、日本は政治、経済と文化の方面でいろんな変革は行われた。そのうち、女性の髪型も西洋の髪型を真似して、束髪や夜会巻き、耳隠しなどの髪型が生じた。その時、鹿鳴館では舞踏会とか皇族や上流婦人の慈善バザーとか催しは行われた。あそこで束髪と夜会巻きが広がっていた。また、大正時代に、当時の最先端であるパーマネントを導入した大正女性の憧れの耳隠しという髪型である。その作り方は前髪を七、三に分けて、サイドに流し、熱したコテを上下交互に髪に挟んで、大きなウェーブをつける。サイドの髪を耳を隠すようにゆったりと後ろでまとめて、ごく低い位置にシニヨンを作って完成できる。
昭和時代戦後以来、日本髪文化は歌舞伎、時代劇、花柳界、結婚産業以外では殆ど衰退したが、現行も正月、成人式、七五三、お茶会等の晴れ着には 「新日本髪」として髪型は受け継がれている。
3 垂髪とそれの美意識
3.1美人の証:長く伸びる黒髪
紫式部が書いて、なまめかしい女性たちが多く登場する『源氏物語』の中で、末摘花と言う女性は、文才に乏しく、ルックスも冴えなかったそうである。しかし、美しい黒髪だけは抜群で、光源氏が彼女に惚れたとか。抜け毛をかつらにする時に、9尺あまり(270センチ)もあったと言うことである。平安時代の美人像は、肌理の細かい色白の肌で、小太りで、顔形はしもぶくれ気味で、あご先は丸く、引目と呼ばれる細い象眼が尊ばれた。頭髪は長くしかも水分の多くてしなやかな髪の毛が美人の条件とされている。髪の毛は長ければ長いほどいいである。清少納言も『枕草子』のなかで、髪の長い人を「うらやましげなるもの」としてあげている。髪長美人として有名な藤原芳子は牛車に乗っても垂れる髪の先は、母屋の柱にまで達したと言われている。また、十二単はこの長い黒髪を引き立てるために生まれたと考えられる。
髪の黒を強調する場合は、日本語で、きれいな黒髪を描写するとき、「烏の濡れ羽色」とういう表現がある。垂髪の場合、理想の髪の色は紫味をおびた黒髪や川蝉の羽のような青味を持った透明感のある黒や、金泥の漆のような艶やかな黒がいい。
3.2長い髪と「顔隠し」
平安時代の長い髪を伸ばしたのは「顔隠し」ということに関係があるとされている。平安時代は貴族を中心に女性たちは自分の容貌を見せないことが奥ゆかしく、嗜み深く教養があるという美意識があったため、表現を顔に出すのははしたない行為だとされていた。当時の女性像が細めで、喜怒哀楽の中間の表現をしていたのはそういう理由だったようである。それだからこそ、長い髪を伸ばして、自分の顔を隠そうという考えが思われる。
「その結果、女性は自分の容貌を見せないことが奥ゆかしくたしなみ深く、教養があるとされたことになった。言い換えると、垂髪は顔を見せないための最適の髪型だったのである。」と村澤博人の『顔の文化誌』の中にそう書いてある。これは垂髪はその時代の「顔隠しの文化」と関連深いと説明した。平安時代の女性は簾の内で生活しており、夫以外の男性に顔を見せることはなかった。外出時も、市女笠を被り、壺装束して、顔を隠した。これと同じように垂髪は顔を隠す「簾」と「市女笠」の役割をしていたのである。
宇津保の『蔵開上』は「白き綾の御衣を奉りて、耳挟みをして、惑ひおはす」と述べた。その「耳挟み」は女性が額髪を左右の耳の後ろにかきやって挟むことで品のない仕草とされ、嫌われていた。それは「顔隠し」の習慣に背いたのと考えられる。
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