大江文学の戦争観--『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』を中心に
2402100102 程 杜鵑
はじめに
1.きっかけと問題意識
近頃、歴史遺留問題をめぐって、中日関係が日一日に緊張になってきた。日本人が第二次世界大戦に対する態度は不明朗だといわれている。日本のドラマや漫画の中で世界第二次世界大戦についての内容はいつもひろしまとながさきの原爆被害から描写されるという感じがある。その中で一番印象を与えられたのは宮崎駿の『火垂るの墓』である。母が戦争でなくなり、唯一の頼りである父も戦場で死んでしまった二人の兄妹は多くの苦難に遭ったあげく、相次いで餓死してしまったという故事である。この故事の背景はちょうど第二次世界大戦である。映画の中でその二人の兄妹の苦難をいやというほど描写した。その映画が反映した戦争観は日本人の戦争に対する時の典型的な態度だと思う。そんな戦争に対する意識は被害意識だと言えよう。大江健三郎の作品についての研究は中国でも日本でも多方面にわたって深く進展している。しかしながら、先行研究は多数大江健三郎の核戦争意識から大江氏の戦争観を述べているようだ。『芽むしり仔撃ち』と『個人的な体験』との二つの作品から大江文学の戦争観を研究するのはまだないだろう。どうして大江健三郎の文学の中の戦争観についての直接的な研究がないのだろうか。
2.先行研究
日本の文学の中で戦争についての作品というと、戦後派たちが書いたものが真っ先に思い出されるだろう。だが、なぜ大江氏の文学からその戦争観をのべようとするかというと、大江氏は民主主義者であるからだ。
1994年のノーベル賞記念講演の際にはデンマークの文法学者クリストフ#12539;ニーロップの「(戦争に)抗議しない人間は共謀者である」という言葉を引き、「抗議すること」という概念に言及した。また芸術院会員となったり文化勲章を受けたりする文学者の姿勢には批判的であり、ノーベル文学賞は「スウェーデン国民から贈られたと言えるもの」として賞を受けたが、その直後に天皇からの親授式を伴う文化勲章と文化功労者のセット授与が決定した際には、「私は、戦後民主主義者であり、民主主義に勝る権威と価値観を認めない」として受章を拒否した。2002年にはシラクフランス大統領からレジオンドヌール勲章(コマンドゥール)を授与された際には、1995年のフランスによる核実験強行に強く抗議したことに触れつつ、「いま新しい任期に入られる大統領から勲章をお受けするのは、フランス共和国がヨーロッパの核軍縮に果たされるはずの役割に期待を抱くからです」と述べている。
2003年の自衛隊イラク派遣の際は「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した。2004年には、憲法九条の戦争放棄の理念を守ることを目的として、加藤周一、鶴見俊輔らとともに九条の会を結成し、全国各地で講演会を開いている。
東アジア外交については、2006年に中国社会科学院#12539;外国文学研究所の招きで訪中し、南京大虐殺紀念館を訪れた。北京大学付属中学校で行われた講演では、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝に触れて「日本と日本の若い世代の将来を最大限に損ねるものだ」と述べた。2012年09月28日には「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題する声明を元長崎市長の本島等、元「世界」編集長の岡本厚ら進歩派の知識人、文化人ら1300人と共同で発表。尖閣諸島も竹島も過去に日本が侵略したものだという立場を示した。尖閣諸島に「領土問題は存在しない」とする日本政府の立場を批判する一方で、台湾の馬英九総統の対話提案を高く評価している。それらの報道はいずれも大江氏は民主主義者であることを説明している。
陳雲輝の『近十年中国の学界に大江健三郎小説研究の概要』によると、大江健三郎の小説創作の主導的意識「無駄――壁意識、性――政治意識、障害を持った子――核武器意識と森林――ユートピア意識である(P.81)」。陳(2005)のである。
大江健三郎の随筆に見えた反戦観については、王新新の『心から戦争の罪を責め――大江健三郎の随筆から反戦観を述べる』に以下のような指摘がある。
当時の日本が発動した中国侵略戦争は中国を滅亡し、アジアを征服しようとするという目的を持つ戦争である。日本は戦争に責任をとるべきである。その上、中国とアジア各国に謝罪し、賠償しなければいけない。そのようにするこそ、アジア諸国の理解と信頼を得られるのだ。それらの思想は大江健三郎の反戦観を構成している。(P85)
大江健三郎の作品の中の戦争反省については、白碧恵の『大江健三郎の作品の中の戦争反省』に以下のように指摘した。
1、人間としての責任感から核戦争を反省する
2、本民族の文化心理に直面し、中日戦争を反省する
3、グローバル化しているテロ活動を反省する
4、反省から出た良薬――「新人」。(P190-191)
許金龍は『戦後文学を超えた民主主義者――大江健三郎』の中で、「大江健三郎は文学が戦後文学を超えただけでなく、民主主義者でもある」と述べている。(P3)
『芽むしり仔撃ち』についてのあらすじは以下のような指摘がある
太平洋戦争の末期、感化院の少年たちは山奥の村に集団疎開する。その村で少年たちは強制労働を強いられるが、疫病が発生した為に村人たちは避難し、出入り口は封鎖され、少年たちは村に閉じ込められてしまった。彼らは”自由の王国"を建設しようと試みる。その後、村で暴力的な事件が発生し、少年たちと村人たちとの間で対立する構図が出来上がる。少年たちは閉ざされた村の中で自由を謳歌するが、やがて村人たちが戻って来て、少年たちは座敷牢に閉じ込められる。村長は村での少年たちの狼藉行為を教官に通知しない替わりに、村人たちはいつも通りの生活を送っていて、疫病も流行していなかった事にしろという取引を強要してくる。少年たちは当初は反発したが、やがて次々と村長に屈服してゆく。そして最後まで村長に抵抗する意志を捨てなかった「僕」は村から追放される。
『個人的な体験』についてのあらすじは以下のような指摘がある
大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者でありその実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公の鳥(バード)は、大江健三郎自身を描いたのではなく、同じ境遇にある別人を描いたと大江自身が解説している。主人公は脳瘤とおそらくそれによる脳障害をもつと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過を経る姿を描く。
3.研究の方法
『芽むしり仔撃ち』と『個人的な体験』という二つの小説から、そのすじの発展に沿い、大江文学の戦争観を探求する。
4.研究の目的
そこで、本稿では『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』という二つの作品を中心に、大江文学の戦争観を明らかにしたい。
本論
1.日本人の典型的戦争観について
1.1ドラマやアニメからの戦争観
1.2日本文学からの戦争観
2.大江健三郎と彼の作品『芽むしり仔撃ち』と『個人的な体験』
2.1大江健三郎その人
2.2その二つの作品からの非典型的戦争観
3.二種類の戦争観の対比により、大江氏の戦争観の有り難さを探求する
おわりに
1.小論のまとめ
2.不足や今後の研究課題
参考文献
(一)日本語関係の著作類
1.『芽むしり仔撃ち』 講談社 1958年
2.『個人的な体験』 新潮社 1964年
3.『沖縄ノート』 岩波書店 lt;岩波新書gt; 1970年
4.『さようなら、わたしのほんよ!』 (長編)講談社(のち講談社文庫) 2005年
5.『広島からオイロシマへ―#8217;82ヨーロッパの反核#12539;平和運動を見る』 岩波書店 lt;岩波ブックレットNo.4gt; 1982年
6.『あいまいな日本の私』岩波書店 lt;岩波新書gt; 1995年
(二)中国語関係の著作類
1.《个人的体验》 王中忱 金城出版社 2012年
2.《大江健三郎口述自传》 许金龙 新世界出版社 2008年
(三)中国語関係の論文類
1. 《超越战后文学的民主主义者--大江健三郎》 许金龙
2.《斥战争之罪--从大江健三郎的随笔论其反战观》 王新新 东南亚论坛第一期 2003年
3.《大江健三郎作品中的战争反省》 白碧惠 长春理工大学学报(25卷。12期) 2012年
4.《近十年中国学界关于大江健三郎小说研究的概要》 陈云辉 唐都文学(21卷。5期) 2005年 |